1971年10月第350地区鷲塚直前ガバナーより旭川南地区に新ロータリークラブの設立を要望され、旭川西ロータリークラブ伏見茂雄氏に特別代表の指名がなされた。
1972年4月伏見特別代表は新谷会長、藤井直前会長、森川幹事はじめ旭川西クラブ会員と計り、同クラブ会員中南地域に居住される掛場、石田、加藤、井内、長野の5氏を以て結成委員として協力を求められ、次で新クラブ予定地域、神居、神楽両地区よりの人選等関係事項の推進に当られた。
1972年8月5日以降12月18日迄数度の会合、或ときは新クラブ入会予定者を交えての拡大協議をも重ねて、創立総会を2月中旬に開くべく、準備にと進展してきた。
1973年1月16日、旭川西ロータリークラブに於ては臨時総会が開催され、新クラブのため地域限界の移譲を決議された。
1973年2月2日、ニュー北海ホテルに於て石田、長野両会員の旭川西クラブより新クラブへの移籍を決定直ちに旭川西ロータリークラブより特別代表、会長、幹事等世話人7名、石田、長野両会員外新クラブメンバー18名とを以て発起人会が開かれ、漸く新クラブ誕生の緒についた。
1973年2月11日第350地区松井ガバナー 伏見特別代表、旭川西ロータリークラブ新谷会長、森川幹事外設立スタッフ全員を迎え創立総会が開催され、ここに27名のチャーターメンバーに依りなる旭川南仮ロータリークラブが発足した。
1973年3月9日第350地区松井幸雄ガバナー、伏見茂雄特別代表、旭川西ロータリークラブ新谷市造会長をはじめ関係各位の格別な御努力に依って茲に待望の国際ロータリー加盟が承認された。
1973年6月24日国際ロータリー加盟認証状伝達式が内外に向け盛大に挙行された。

バナーの所以
旭川市は古称 蝦夷『北海道』の中央に位置し大正 11年8月1日市制が施行され 人口32万5千余を数え 米産量100万俵 日本一を誇る稲作都市 そして木材  酒と併せ 道北道東の卸し売り拠点・又 買物公園 と謂った商工業の青年都市でもあります 日毎 大雪山頂より戴く朝日に励みを覚え 市中を 流るる石狩 忠別 美瑛を三筋の川に日課の汗を流す  その朝日と川 そして燃える青年都市の意気を朱を 以って映しました
図 案/飯土用誠司
趣 意/山下 秀雄